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愛知の祭り【東三河の祭り】
愛知県西部の三河地方は西三河と東三河に分けることができます。東三河とは豊橋を中心として、渥美半島、蒲郡、豊川、新城、北設楽郡の地域のことを言いますが、興味深いのは戦国時代に南部は今川家の支配下にあり、北部は武田家の支配下にあったことです。とくに南部では今川家のもとで手筒花火が始まり、牛久保の若葉祭や、豊橋の安久美神戸神明社の鬼祭など、とても大きな影響を受けたといわれます。そして新城より北の奥三河地域では、武田の支配下であったために今川文化の影響を受けず、山間部にとても興味深い祭りが残りました。なかでも今のシーズンに行われる花祭は、山伏によって伝えられた湯立神楽の様式で行われる祭で、その担い手は土地の開拓者らを中心に構成されてきました。長らく人の行き来の非常に少ない閉鎖的な集落であったため、このような祭の仕組みが近年までそのまま残っており、この祭りを研究する民俗学者は非常に多いです。
私見になりますが、開拓者の家系が祭において特別な存在とされ、ある意味において神格化していく過程は、日本国の開祖が神とされる日本神話の内容と似たところを感じるもので、非常に興味深いです。
話を戻しますが、東三河の祭文化はこのように非常に多様性があふれるものとなっており、とても魅力に溢れます。
愛知の祭り【知多の山車祭り】
名古屋の南に位置する知多半島は山車祭りがとても多い地域です。面積は山手線の内側とほぼ同じで、鉄道の駅はおよそ50駅ほどあり、大雑把に言えば、半島北部は工業、中部は伝統産業、南部は漁業、中央部では農業が盛んというところです。このエリアで山車祭りはじつに鉄道の駅と同じ数の50箇所で行われており、山車の総数は120台になります。その多くが江戸時代から続くものです。なぜこんなに山車祭りが盛んなのかというと、知多半島は江戸時代には知多廻船という海運と、半田の酢に代表される醸造で栄えた交易の拠点だったということがあり、また江戸時代前半に名古屋や犬山で始まった山車祭りの影響があって、富を得た町衆が山車を競うように造って祭りを始めたことが背景にあります。
知多の山車祭りのピークは3月下旬から5月上旬にかけて、この時期は毎週どこかで山車祭りが行われています。